移住者インタビュー

INTERVIEW 移住者インタビュー12

せっかくだから自分が面白がれる人生を白河で

吉島 祐輔さん

年齢:40代
職業:自営業
出身:大阪府
住まい:白河市内

吉島さんの経歴

 東京で舞台役者をしていたところから一転して、奥様の出身地である白河に移住された吉島さん。奥様のご実家は白河で200年続く蒟蒻店でした。現在は蒟蒻店と新しく開店したおでん屋さんを切り盛りされています。

お婿さんとして白河に来ることになったきっかけを教えてください。

 20歳の時に大阪から東京に出てきて、東京から白河に移住したのは30歳の頃でした。
当時は舞台俳優をやっていまして、身も蓋もない話ですが、赤ちゃんができまして。舞台俳優と言っても真の姿はバイトリーダーなんで、どうやって家族食わせていくんだとなり。
 そこから、実は奥さんの実家が白河で200年続く蒟蒻屋で、独りでやっているお父さんの代で閉めることになってしまいそうだということで。白河にお婿さんとして来ました。夢があって、とか綺麗な話ではなかったです。

お子さんとのツーショット

白河に来るときに不安はありませんでしたか?

 一番の不安は、田舎に引っ越す不安というよりは、こんなでたらめな男が家族を持ち、養っていけるのかでした。

 白河に移り住んで蒟蒻屋を手伝い始めて、うちのお義父さんに「お前は蒟蒻は向いてない」と言われてまして。蒟蒻というのは寒い仕事に耐え、利益も上がらない、市場の中でもスーパーマーケットに頭を下げたりする立場の低さがあったんです。大手の工場の大量生産と価格を競争しなきゃいけない、歯を食いしばってなんとか生きていくものだという風潮もあり。地場の蒟蒻は衰退していくばかりで、僕には違和感がありました。

たしかに、無口で淡々とした職人気質というのは吉島さんに似合わない感じがします。いつも蒟蒻屋らしからぬ?おしゃれなハットをかぶっている吉島さん。店舗もおしゃれです。何か転機があったんですか?

 震災の時期に倒産の危機にぶつかりまして。家族で手づくりでやっているのに物が売れない、赤字と借金が山ほど積もっている中で終わりが見えてきた。そこで、どうせ倒産になるんだったら、せっかく僕が来たんだから、やりたいようにやらせてもらうぜって方向を転換しました。流通の部分を変えたり、デザインにこだわったり。何か風を吹かせてみてもいいかなって。
 一番最初に取り組んだのは、絶滅の危機にあった在来種の蒟蒻芋と、昔ながらの製法に立ち戻って作った製品でした。大手が真似したくても絶対にできない、コストがアホみたいにかかる商品。でも、わかる人にはわかるだろうと思って作り続けていたら、本物志向の蒟蒻屋がいるって各所に取り上げられて、仲間やできてネットワークが広がって。嬉しかったですね。

蒟蒻と向き合う吉島さん

2022年秋には、店舗を改装して、おでん屋さん「髪と台詞」をオープンされました。

 震災から10年が経って、いよいよ復興というフェーズから離れて自立していこうというタイミングで、コロナ禍になって。付加価値つけて売るにも、旅館や百貨店、イベントもストップして、なんでこんなところに蒟蒻があるんだって思われるのが小気味よかったのに、まいったなあという状況になりました。
 じゃあ今度は地元の目に見える手に届く対面で販売していこうというのが次の手で。これまでつながった面白い人たちと、今度は逆にうち来てなんかやってよって言えるように、自分たちの拠点が欲しくて。おでん屋を開業しました。
 ただおでんを売るというより、この空間や時間、雰囲気を楽しんでもらうことを軸にしています。ピアノも置いてあるおでん屋です。

おでん屋「髪と台詞」

移住を考えている方にもぜひ訪れてほしいお店です!今後白河でやりたいことはありますか?

 「髪と台詞」がある天神町のエリアを「偏人町」として押し出していきたいと思っています。もともと天神神社という学問の神様が祀られている場所で、「偏人学園祭」をやりたいですね。社会的には偏ってるけど、こだわりがすごい人が集まって、自分の偏りを互いに発表できる場を、自分たち自身で面白がってつくりたいです。

最後に、移住を検討している方にメッセージをお願いします!

 まず自分がやりたいこと、自分が喜ぶことを考えて、そこから現実的な設計にまで落とし込んでいく。でも最初からそこまでやるのは腰が重いから、まずはお試しでやってみればいい。
 せっかく自分がアクションを起こすんだから、何か変化が生まれるようなきっかけになることを信じてほしいと思います。せっかくなんだから。

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